元コンサルで躁鬱なニートの日常

コンサルタントを退職したので、ブログ名を「躁鬱のコンサルタントの日常」から「元コンサルで躁鬱なニートの日常」に変更しました。躁鬱で悩みながら生きていく様を自分の記録用に書いています。

19_ニートになった意味について考えてみる

おはようございます。

 

ニートになり、引越しも一段楽し、妻と初めての同棲を始めました。

 

結婚して1年半程、付き合ってからを考えると約7年にして、初めての同棲です。

 

一緒に生活して初めて、自分達「夫婦」のあり方について、真剣に考え始めました。

 

これまでも真剣に考えていました。別居していた時「妻の事を第一に考えよう」と思っていましたが、一緒に暮らし始めると全然違いますね。別居時は頭で分かったつもりになっていただけなんだと、感じています。

 

一緒に生活する中での各々の発言や行動が、相手に影響を与えます。もっと言うと、妻が椅子に座っているだけで、影響を受けます。

 

他人が同じ空間に存在するだけで、その人にとっての環境は変化するんですね。

 

環境が変化すれば、自分の取る行動も変化します。

妻のために自然と料理や掃除をするようになりましたし、妻の感情につき動かされる事もあります。

 

行動を伴って初めて「妻を思う」事ができるんですね。

それが分かっただけでも、仕事を辞めてニートになった意味があったなと、思っています。

 

さて、それを思った事をキッカケに、ニートになった意味について考えたくなりました。

 

何かに例えれば上手く考えれるのではと思い、以前行なった熊野古道の徒歩旅行を思い出しました。

と言っても、人気の中辺路(なかへち)を歩いたのではなく、紀伊路を歩きました。

紀伊路のスタート地点は家から近く、夏休みを取れる7〜8月の中辺路沿道の宿は宿泊代も高かったため、金をあまりかけなくて良い紀伊路を選びました。

 

歩いた路面のほとんどがアスファルト紀伊路でしたが、道中思いがけない景色を見る事ができましたし、犬の散歩をしているおばさんや、みかん畑で作業中のおじいちゃん等、色々な人と会い、話をする事ができました。歩きながら、本当に多くの事に思いを巡らせる事ができました。

 

ひとつの仕事(会社)を終えた事は、紀伊路のように、1本の道を歩き切った事を表しているのかもしれません。

 

そして今、次進むべき岐路に立っているのかもしれません。

 

そう考えると、今(紀伊路で言うと田辺で)何をするべきだろうか。

 

まずは休息ですよね。

次の道を歩き切るため、まずは体力を回復させようと思います。そして、呼吸を整えようと思います(鬼滅の刃の映画を見た直後なので、影響を受けました)。

しっかりと毎日睡眠を取り、自分の生活リズムを作っていこうと思います。

それから、自分にとっての「休息」は、何も考えない事のような気がしますので、無心になれる散歩を日課にしようと思っています。

 

休息を取ると並行して、次歩く道を考える事も必要だと思います。

これからどっちの方向に進むべきか、自分はどこに辿り着きたいか、考えたいと思います。

次はどういった会社に入るか、もしくは自分で作るのか、何をして、どういう自分になりたいか考えようと思います。

 

また次の道に備えて、これまでの経験から必要と思う装備を整える事も必要ではないでしょうか。

今後何かを分析する際に、ビッグデータの処理能力は最低限の能力、みんなが使えるようになって当然の道具だと思いますので、プログラミングを勉強しようと思っています。

 

また、今まで忙しくて出来なかったお絵描きもしようと思っています。 

 

そして、今町(田辺)に居るのならば、色々な人に自分から会いにいく事ができます。

道中の出会いは偶然ですが、町はどこに誰が居るか分かりますので、色々な人に自分から会いに行き、話をしようと思います。

友人やお世話になった大学の先生等、色々な話を聞きに行ける良い機会と捉えようと思います。

 

これからの数ヶ月の生活で、おぼろげにでも、次の行くべき道が見えるのではないかと思っています。

 

ではでは。