20_仕事を辞めて気付いたこと
久しぶりの投稿になりました。
私は相変わらずニートしてまして、妻や周囲の方々に支えられ、なんとか生きてます。
ただひたすらに感謝です。
さて今回は、再び働き出した時に思い出せるよう、ニート期間中に気付いたことを書きます。
今回の話は、「仕事は楽しくなくて良い」です。
メモ代わりに、バババっと打ってますので、構成はあまり気にしてませんが、ご承知おきください。
【仕事はそもそも楽しくない】
ニートとして日々過ごしていると、働いていた頃に比べ、毎日が楽しい事に気付きました。
裏返すと、働いていた頃は楽しくなかったということですね。
「仕事を楽しもう」「仕事は楽しむべきもの」
そう考える人は多いのではないでしょうか。
でも仕事は多くの人と進めるもので、自分の思い通りにいくことは少ないです。
性格合わないおじさん達と多くの時間を過ごすのが、どうして楽しいと思えますか。
社屋なんて無機質な空間ですし、そもそも行きたいと思えません。
つまり仕事に対する気持ちは、仕事を始める以前にマイナス・スタートであって、そもそも仕事は楽しいものじゃないんですよ。
【鬱な人は仕事が全てだと思ってるかも】
世の中には仕事以外に楽しいことが溢れています。
ニートをしていると、そういう物事に自然に目がいきます。
映画や舞台、テレビ番組、公園で散歩、山登り、街歩き等…、世の中は楽しい事で溢れています。
みんながせっせと働いている日中に、公園に居てみてください。
木々が揺れて、鳥の鳴き声が聴こえて…。同じ時間でもこんなに気持ちの良い時間を過ごせるのかと感動します。
人生、仕事が全てではありません。
当たり前のように聞こえますが、仕事で鬱っぽい方は「人生は仕事が全てだ!」と、どこかで思ってませんか?
【仕事が全てだと思わないためにも感動する】
先日、テレビで建築家の安藤忠雄さんが「本や映画等、色々な物を見て感動しないと。3日に1回は感動しないとまずいと思った方が良い。」と仰っていました。
日常生活で「感動する」事は、とても大事なことだと思います。なぜなら、感動は仕事以外の楽しいことに気づかせてくれるからです。
「こんなに楽しいことがあるのか」と思えば、人生仕事が全てではないな、と思えます。
【仕事は片手間、遊びが本業】
楽しくない仕事を人生の本業になんかしたくないですよね。
それならば、遊びを本業にして、仕事は片手間でやっている事だと考えた方が気持ちが楽になりませんか。
楽しくない会社の仕事に、大切な時間を使いたくないですよね。その時間があれば、遊びたくないですか?
【手を抜く】
ならば、徹底的に手を抜きましょう。
やりたくない仕事は、手を抜いて、重要なこと(最低限やるべきこと)だけやって、早く帰りましょう。
手を抜くとは、悪いことのように思うかもしれませんが、そんなことはありません。
「手を抜く」とは、囲碁の世界の言葉らしいです。今戦っている場所に打たずに、全体を眺め、より効率の良い場所に石を打つことを言うそうです。
考えずに流れに身を任せて仕事するのではなく、全体的に見て自分が楽しくなるよう、やる事を省きましょう。
手を抜くとは、自分がやりたい事かどうか、自分にとって意味のある事かどうかを判断する事です。
【まずは映画でも見て感動しましょう】
手を抜くために、目の前の仕事は人生で大事な事ではなく、片手間でやっていることだと思いましょう。
そして片手間でやっていることだと思うために、遊びを本業にしましょう。
そして遊びを本業にするために、なるべく仕事以外のことで感動するようにしましょう。
鬱っぽいそこのあなた!
まずは手軽に感動できる映画から始めてみてはいかがでしょうか。
ではでは。
19_ニートになった意味について考えてみる
おはようございます。
ニートになり、引越しも一段楽し、妻と初めての同棲を始めました。
結婚して1年半程、付き合ってからを考えると約7年にして、初めての同棲です。
一緒に生活して初めて、自分達「夫婦」のあり方について、真剣に考え始めました。
これまでも真剣に考えていました。別居していた時「妻の事を第一に考えよう」と思っていましたが、一緒に暮らし始めると全然違いますね。別居時は頭で分かったつもりになっていただけなんだと、感じています。
一緒に生活する中での各々の発言や行動が、相手に影響を与えます。もっと言うと、妻が椅子に座っているだけで、影響を受けます。
他人が同じ空間に存在するだけで、その人にとっての環境は変化するんですね。
環境が変化すれば、自分の取る行動も変化します。
妻のために自然と料理や掃除をするようになりましたし、妻の感情につき動かされる事もあります。
行動を伴って初めて「妻を思う」事ができるんですね。
それが分かっただけでも、仕事を辞めてニートになった意味があったなと、思っています。
さて、それを思った事をキッカケに、ニートになった意味について考えたくなりました。
何かに例えれば上手く考えれるのではと思い、以前行なった熊野古道の徒歩旅行を思い出しました。
と言っても、人気の中辺路(なかへち)を歩いたのではなく、紀伊路を歩きました。
紀伊路のスタート地点は家から近く、夏休みを取れる7〜8月の中辺路沿道の宿は宿泊代も高かったため、金をあまりかけなくて良い紀伊路を選びました。
歩いた路面のほとんどがアスファルトの紀伊路でしたが、道中思いがけない景色を見る事ができましたし、犬の散歩をしているおばさんや、みかん畑で作業中のおじいちゃん等、色々な人と会い、話をする事ができました。歩きながら、本当に多くの事に思いを巡らせる事ができました。
ひとつの仕事(会社)を終えた事は、紀伊路のように、1本の道を歩き切った事を表しているのかもしれません。
そして今、次進むべき岐路に立っているのかもしれません。
そう考えると、今(紀伊路で言うと田辺で)何をするべきだろうか。
まずは休息ですよね。
次の道を歩き切るため、まずは体力を回復させようと思います。そして、呼吸を整えようと思います(鬼滅の刃の映画を見た直後なので、影響を受けました)。
しっかりと毎日睡眠を取り、自分の生活リズムを作っていこうと思います。
それから、自分にとっての「休息」は、何も考えない事のような気がしますので、無心になれる散歩を日課にしようと思っています。
休息を取ると並行して、次歩く道を考える事も必要だと思います。
これからどっちの方向に進むべきか、自分はどこに辿り着きたいか、考えたいと思います。
次はどういった会社に入るか、もしくは自分で作るのか、何をして、どういう自分になりたいか考えようと思います。
また次の道に備えて、これまでの経験から必要と思う装備を整える事も必要ではないでしょうか。
今後何かを分析する際に、ビッグデータの処理能力は最低限の能力、みんなが使えるようになって当然の道具だと思いますので、プログラミングを勉強しようと思っています。
また、今まで忙しくて出来なかったお絵描きもしようと思っています。
そして、今町(田辺)に居るのならば、色々な人に自分から会いにいく事ができます。
道中の出会いは偶然ですが、町はどこに誰が居るか分かりますので、色々な人に自分から会いに行き、話をしようと思います。
友人やお世話になった大学の先生等、色々な話を聞きに行ける良い機会と捉えようと思います。
これからの数ヶ月の生活で、おぼろげにでも、次の行くべき道が見えるのではないかと思っています。
ではでは。
17_祝!ニート
お久しぶりです。
前回、退職を申し出たと書きましたが、正式に退職しました。
ついにニートです。
退職時には、お世話になった方々に感謝を伝えたいと、お礼の手紙やメールを沢山送らせて頂きました。
すると、皆さんから心温まるメッセージが…。
あぁ、一生懸命働いて良かったなぁと、しみじみ思いました。
さて、今回退職して感じたことは次の3点です。
①自分が取り組んだ事への他人の感謝があってはじめて、それを実績と呼べる
②取り組む前は誰でもできる、自分のオリジナリティがないと思っているものであっても、取り組んで実績とすれば、それを自分のオリジナルと言える
③人から感謝されると思ってもいなかった事に感謝されると嬉しい
人から感謝されない事をやっても、それを胸を張って実績と言えるのかと思います。(①)
また、「自分は誰でもできる事をやってる」と取り組む前に思ったとしても、それに一生懸命に取り組んで実績とすれば、それはオリジナリティを持つんじゃないかと思います。(②)
そして、人は何かしら感謝する時、きっとその物事を評価しているのだと思いますが、人の評価は自分にはどうする事もできません。人の頭の中を理解する事なんてできませんので。なので自分が取り組む事の何にその人が感謝するかは、はじめから想定なんてできない。感謝されたいから何かに取り組むなんて、意味がないと思います。そして何に評価されるか分からないからこそ、思いもよらない事に感謝されると、意外性が相まって嬉しい気持ちになるんだと思います。(③)
そして最後に…。
会社と喧嘩別れだけは辞めた方が良いと思います。
この世界、どこでいつ元居た会社の人と会うかも分かりませんし、同じ業界に転職するなら尚更、自分の悪い噂を他の会社に流されるかもしれません。
組織は人で成り立っています。人には良い所もあれば悪い所だっていくらでもあるじゃないですか。
悪い所なんて、いくらでも見つけれますよ。それよりも、良い所を見つけて、それに感謝した方が良いと思います。
悪い所ばかり目をつけて、喧嘩別れをした事を、後々後悔する事だけは避けた方が良いと思います。
後悔するという事は、過去にした事を良くなかった事とみなすことです。それは過去の積み重ねの上に立っている今の自分を否定している事だと思います。
まずは自分のしてきた事を肯定して、自分の事を労りましょう!
自分の事を労らずして他人は労われないと思いますし、他人を本当に労る事ができれば、人が使いやすいサービス等を考える事ができると思いますし、それは結果的に良い仕事をする事に繋がると思います。
ポジティブに人生を過ごしていきましょう!
ではでは
16_退社の準備まっしぐら
こんにちは。
前回退社の意向を上司に伝えたと書きましたが、その後再度退社の意向を伝え、まさに退社の準備まっしぐらです。
それにしても保険等、やらなくてはいけない手続き多いですねえ。
「あぁ、これだけの事を会社はやってくれていたんだ。ありがとうございました。」と素直に思いました。
とりあえず、ひとつひとつ、こなしていってます。
直感を信じて1歩を踏み出しましたが、まあまだ有休消化をしていませんので、もうしばらくはこの会社ですね。
お世話になった方にお礼の挨拶を書く作業に追われそうです。
ではでは。
15_久しぶりの躁鬱の発症
こんばんは。
明日からまた仕事で気が重い・・・という方、沢山いらっしゃると思います。
無理なさらないでくださいね。身体に訊いて、無理ならば休みましょう。
身体を壊したら元も子もないので。
さて私ですが、先日体調を崩し、なんとそのまま躁鬱が再発してしまい、ずっと会社を休んでいます。まあ有給ありますしね。会社からも無理に来るなと言われていますし。
朝起きるとまず頭痛、その後吐き気。
朝それらの症状が酷くて、夜に向けて治っていく。
これ、何度経験しても、辛いんですねぇ笑
再発いつぶりだろう。1年以上空いたかな。
以前に比べて、躁鬱への対処が上手くなってきてはいるんですけどね。
今回の発症の感覚はこれまでとは違う。
何が違うって、仕事が捌けているのに発症したということ。
これまで仕事が捌けていなくて、体調崩して躁鬱になるということはあったのですが、この感覚は初めてです。
頭(意識)では「大丈夫」と思っているんですけど、身体は真逆の反応。
もう身体が受け付けてないんですね、今の生活を。
これは危険信号だと直感しました。
今までと違うと。
そんな中、なんとか乗り越えようと、ネットや本でこの困難を乗り越える参考になる考え方をとにかく探しました。
そんな中見つけたのが、養老孟司さんのインタビュー動画。
”頭で考えすぎて、感覚を見失っている。
もっと感覚に身をゆだねろ。
最終的には身体で判断しろ。どっちが気持ちいいんだよ。”
ハッとしました。
自分は身体に嘘をついていたと。
自分の身体が悲鳴をあげているのに、ないがしろにしていたと。
思えば、最近頭であれこれ考えて気持ちを押さえつけ、身体にいいことしてなかった。
会社にはずっと不満がありました。
業務体制を整えてくれと2、3年前から訴えてきましたが、「わかった」と口では言うものの一向に改善されない。
自分の言っていることを真剣に考えない会社にこのまま居て、身体だけが悪くなっていく。そんな人生でいいの?と思いました。
身に付けたいな〜と思っているスキルもあるが、今の環境では身に付けることができない。
そして私の気持ちの揺らぎに畳み掛けたのは、妻の言葉でした。
妻とは付き合い初めからずっと離れ離れ、結婚後も別居婚を続けているのですが、会社に異動させてくれと言っても、「来年異動させる」と毎年言われ続け、異動できていませんでした。当然別居しているので、子作りもままならない状態が続いています。
そんな妻に「元気じゃない人から元気な赤ちゃんが生まれると思う?自分の身体に正直にならないと。」と言われました。
この言葉はかなり身にしみました。
また養老さんの言葉を噛み締めていた時だったので、なおさらです。
今やっている仕事は、なかなか携われないものだということは分かっています。
この仕事に携わることで社内ではある一定、スキルを持っていると認められる。
しかし、それは身体を壊してまで、そして家庭を壊してまでやることか、と改めて考えました。
答えはNoです。
ということで、先週上司に身体が付いていかないので辞めたい旨を伝えました。
「考え直してくれ」と、今かなり退職を止められていますが、気持ちは変わっていません。今週改めて退職を伝えようと思っています。
そしてまずは一旦仕事を辞めようと思っています。転職先は決まっていません。一旦何もかも白紙に戻し、妻と暮らしながら決めて行こうと思っています。国も生活を支援する色々な制度を設けていますし、死ぬまではいかないと思っています。それに身体が元気なら、働こうと思えば働けます。
「まあいいや。何とかなるだろ。」
この割り切って考えるという方法は、私がこの数年で身に付けた躁鬱に対処する方法のひとつです。
「そんなことで対処できるわけがない」と思う方もいらっしゃると思いますが、嘘だと思って口に出してみてください。しかも大きく息をつきながら。
結構私は効くと思っています。
色々な物事を”受け入れる”言葉だと思っていますが、「受け入れる」ことでその物事をこれ以上深く考えないようになります。
変に悩みに陥るのを防ぐことができます。
今まさにこの時間、鬱で苦しんでいる方へ。
「明日どうなってもいっか。何とかなるだろ。」と、割り切って大きく息をつきながら口に出してみてください。
そして今日はもう何も考えず、寝ましょう。
明日の朝、会社に行けるかどうか、明日の朝身体に訊いてみましょう。
もし感覚に訊いてみて「無理!」と思えば、迷わず休みましょう。
とにかく自分の身体を労わることが大切だと思います。
ではでは。
14_悶々と。
どうも、お久しぶりです。
気づけばもうすぐ12月。以前の投稿から6ヶ月経ちました。時が経つのは早いですね。
さて今回も現実逃避のため、このブログに戻ってきました。
会社には継続して行けてます。
躁鬱とはうまく付き合えています。
今回は体調を崩してしまいました。
腸を痛めてしまい、腹痛で先週3日間会社を休みました。
休みの連絡を会社に入れたのですが、その時の上司の反応ときたら…。「また鬱か」と思ってるんでしょうね。腹痛である事を疑うような口調。そして舐めたような口調。
その時「何でコイツに舐められなきゃいけないの?」と思ってしまいました。
そこから、「コイツに舐められてまで、そもそもこの会社で働き続ける意味はあるんだろうか」と考え始めたんですね。
今回は全く整理がついてないですが、つらつらと頭の中にある混沌としたことを文にしてみようと思います。
そもそも、会社で働く一般的な理由としては何があるんでしょうか。
・生活費を稼ぐため
・自分のやりたいことをやるため
・自分のやりたいことを将来的にやるのに必要な技術を学ぶため
・今できることをやるため
こんな所でしょうか。
このうち、1つ以上の項目で会社に行く理由が成り立っているのだと思います。
自分の場合、生活費を稼ぐのは最低条件です。また、自分がやりたいと思っていることは、今の会社ではできません。自分のやりたいことを将来的にやるのに必要な技術を学ぶことは、学びやすいか否かは置いておいて、出来るかと思います。
自分がやりたい事をするために、今転職すべきなのでしょうか。
妻は今が転職のタイミングだと言ってくれてます。しかし本当に今なのでしょうか。
今やってる仕事も、少しづつではありますが、やりたいことに近づいている状況ではあります。ただ近づいてるだけで、できないのには変わりありませんが。
今やってる所で、自分が本当にしたいことに必要な技術を身に付けてから、転職すべきなのでしょうか。
そもそも、今の自分は目の前の仕事を楽しめているのでしょうか。
単に仕事を回しているだけにしか思えていません。それとも、そもそも、回すことにしか頭がいってない時点で甘ちゃんなのでしょうか
姿勢次第で、技術を身につけることができる環境なのかもしれません。
また今の仕事に将来性があるんでしょうか。
そもそも、将来性なんて分かるのでしょうか。
やりたい事をやるために人生を生きているのであって、遠回りする意味はあるのでしょうか。
人生は短いです。いつ死ぬか分かりません。なのに、人生100年と言って、やりたい事を先送りする必要があるのでしょうか。
行きたい会社はあるが、今は求められていません。
今やってることをずっとやり続けたいのか。今やってることを楽しめてるのか。
体調崩すような働き方をさせる会社に居続ける意味はあるのでしょうか。
悶々と考える連休最終日を過ごしています。
ではでは。