元コンサルで躁鬱なニートの日常

コンサルタントを退職したので、ブログ名を「躁鬱のコンサルタントの日常」から「元コンサルで躁鬱なニートの日常」に変更しました。躁鬱で悩みながら生きていく様を自分の記録用に書いています。

13_チェーンに油、タイヤに空気

どうも。コンサルのぶーです。

 

最近も躁鬱で会社を休むことなく、ずっと出社できてます。

 

さて今日は通勤で使ってる自転車のチェーンに油をさしてきました。

 

そしてタイヤにも空気を入れてきました。

 

もうね、「同じ自転車?」って思わず口に出してしまうほど、走りやすくなりました。

 

メンテは大事ですね。

 

買ったばかりの能力に戻す事はできないけど、メンテする事で充分快適に使えます。

 

良く使える状態にすることがメンテの1つの目的なんですよね。

 

メンテ可能な構造になってない製品って世の中にありますけど…

 

そんな製品を作ってるって事は、その企業は人に良く使って貰おうと考えてないってことですよね。

 

そんな事を考えました。

 

ではでは。

12_失敗と成功

どうも、お久しぶりです。

前回の投稿から随分と日が空いてしまいました。


まあ、 そもそも気ままに投稿する気で始めましたので良しとしましょう。


躁鬱から脱して1年が経過しました。


会社にも問題なく行けており、 このブログを始めた効果あったなと実感しております。


さて本日は資格試験の合格発表の日でした。


結果は不合格。


それがブログを久しぶりに書いた理由です。


何かあったらこのブログに立ち返る。


ほんと都合の良い場所ですね。


今回は不合格と知った時に感じたことを躁鬱の克服と絡めて書きた いと思います。

 


まずは、不合格と知った時の前向きさ、です。


躁鬱を脱してから、 常日頃なるべく前向きに考えるよう努力しています。


どんなに些細なことも、です。


例えば、食べ過ぎたとき。


「食べ過ぎたな。体に悪いな。 でも食べたかったんだから仕方ないか。 明日の朝はコーヒーだけにしよう。そもそも食べ過ぎたのは、 その前の食事を抜いたからだな。 次からはあの時間帯に食事を抜くのはやめよう」とか。


「電車乗れなかったな。まあしょうがないか。 まあその分お茶でも買って、ひと休みしよう。 そもそも電車に乗り遅れたのは、あの時”余裕あるな” と思ってのんびりしていたからだな。 次からはもう少し余裕をみて動こう」とか。


”この状況になったのは仕方ない。だからその分こうしよう。 次はこうやってその状況を回避しよう」 と考えるようにしています。


これを続けていると、例えば今回の「不合格」 のような少し大きな壁にぶち当たった時でも、


「これが今の実力。今回だめだった所を見直せば、 次合格する確率を高めることができる」と思えるようになります。
(実際今回こう感じました)


前向きを意識し続けるというのはとても大事なことですね。


これは躁鬱を克服するときも役立ちます。


鬱で会社行けなかった?いいじゃないですか、行けなくて。 休んでしまったものはしょうがないです。 休んでしまった時間はどうあがいても戻りません。


次行けるように努力すればよいだけ。


昔上司に、 仕事でうまくできなかったことがあって怒られたことがありました 。


「すいませんでした。あの時あれをしておくべきでした。 失敗です」と、とても悔やみながら言いました。


そしたら


「別に失敗って思う必要はないんじゃない?だって” あれをしておくべきだった”って今回わかれば、 次はそうすればよいだけでしょ?次それをちゃんとすれば、 今回のは失敗にはならないよ」と言われました。


とても心に刺さりました。


失敗は、次成功すれば失敗ではないんです。


加えて言えば、失敗と思えば失敗ですし、 成功と思えば成功なんですね。


さらに極論を言えば、人生でどんなにやらかしても、 死ぬ間際に成功と思えば、 成功した人生になるんだと私は思います。


この世にある”絶対”なものは、生と死だけです。


絶対こうなると思うことが人生で何度もありますが、 それは絶対ではありません。”そうなる可能性がある” という不定なものなのです。


だから、失敗しても、それが絶対失敗だとは言えないわけです。


失敗は成功に変えることができ、その役割を担うのが未来だと、 私はそう思います。


ではでは

11_「手を付けるのが面倒」と思った物事への取組み方

どうも。三連休をダラダラ悶々と過ごしているコンサルのブーです。

 

仕事の1つの山を越え、資格の試験も終え、フッと一息つきたい気持ちになりました。

 

最近も順調に出社してまして、躁鬱だった日々を懐かしく感じ始めています。

これも前向きに考えるようになった成果なのでしょうか。

 

ところで、この三連休に「あそこに行ってみようかな」とか、「あれしてみようかな」とか考えましたが、面倒な気持ちになり、結局動けませんでした笑

 

そのうち「そもそも"面倒"って何!?」と考え始めました。

 

 

めん どう -だう [3] 【面倒】
( 名 ・形動 ) [文] ナリ① 手数がかかってわずらわしい・こと(さま)。 「 -をいとわない」 「 -な仕事」 「かかわりになるのは-だ」 「 -ばかり起こす男だ」 「ご-をおかけして申し訳ありません」 「ご-様」
② 世話。厄介。 「赤ん坊の-をたのむ」
③ 見苦しいこと。見るに値しないこと。また、そのさま。 〔日葡〕

https://www.google.co.jp/amp/s/www.weblio.jp/content/amp/%25E9%259D%25A2%25E5%2580%2592

 

そして、煩わしいって何だろうと思い、調べてみると…

 

わずらわし・い わづらはしい [5][0] 【煩わしい】
( 形 ) [文] シク わづらは・し〔動詞「煩う」の形容詞化〕① 心を悩ますことが多くて、気が重い。うんざりする。 「 - ・い人間関係」
② 複雑でめんどうくさい。煩雑である。 「 - ・い手続きを簡素化する」
③ 気がおける。けむたい。 「びんなくおぼしめすにやと-・しう思ひて/源氏 薄雲」
④ 体の具合が悪い。 「 - ・しくなりて、目・眉(まゆ)・額なども腫れまどひて/徒然 42」

https://www.weblio.jp/content/煩わしい

 

面倒というのは、「手数がかかって、心を悩ますことが多くて、気が重いこと」との事。

 

物事は、少しの手数でできる事から沢山の手数が必要な事まで様々です。

 

寝たい→ベッドに行く→寝る

手数少ないですね。楽ですね。

 

地球温暖化の進行を抑えたい→自分に出来ることは何かと考える→例えば、電力消費量を抑えるのはどうか→LEDライトを購入→取付→いらなくなった電球を捨てる

手数多いですね。面倒です。(例が良くないのは置いといてください)

 

手数が多くなれば、心を悩ます事が増える可能性は高まりますよね。

 

手数が少ない物事だけをやれば、心を悩ます事は減り、楽に過ごせると思いますが、その一方で、手数の多い物事による体験が少なくなります。

 

そして、まだ自身の中で論理的に整理できていませんが、手数が多い物事をやった方が手数が少ない物事よりも、物事をやった後の充実感があるように感じるのです。

 

それは、そこに新しい体験があるからなのか、汗水垂らして実行した物事だからなのかは分かりませんが、直感的にそんな感じがします。

 

「手数が多い事をやった方がハッピーになれる」ならば、どうすれば面倒な事に手を付けれるようになるのでしょうか。

 

考えた結果、全体的に手数が多い物事に、小さな区切りを付け、手数を少なく思わせるのが良いのではないかという考えに行きつきました。

 

例えば、散らかっている部屋を一気に片付けようと思っても、面倒ですよね。私なら手をつけたくないなぁと思います。

 

それならば、部屋を全て片付けるのを目標とするのではなく、まずはゴミだけ捨てるというのを目標にしてはどうでしょうか。

 

ゴミ捨て以外は目標としないのです。そうすれば面倒な事にも手をつけれそうじゃないでしょうか。

 

面倒な事を面倒な事と思わせないようにするという事ですね。

 

早速私も実行してみようと思います。

 

ではでは

10_制約に対する考え方が鬱に影響するのでは?

こんにちは。

順調に出社しています、コンサルのぶーです。

 

さて、資格の試験が迫っているのですが、あまり勉強の時間を取れていないこの頃。

 

そもそも今日も仕事、明日も仕事。

まとまった休みを取れません。

 

「全然勉強する時間無い。まじ最悪。」と以前のぶーであればイライラしていたでしょう。

 

でも今は違います。

 

「勉強の時間取れてないけど、まあいっか。」と開き直っております。

 

もう過ぎ去ってしまった時間は取り返せないので、今後頑張るしかありません。

 

この場合、時間を自由に使うことを妨げている制約となっていることが仕事というわけです。

 

 

せい やく [0] 【制約】
( 名 ) スル① 制限や条件をつけて、自由に活動させないこと。 「時間に-される」 「 -を受ける」
② 物事の成立に必要な条件や規定。

https://www.weblio.jp/content/制約

 

 

最近、仕事上で制約について考えることがありました。

 

何か物を作ろうとした際、制約だらけだったんですね。

 

がんじがらめ…

 

と思ったのですが、考え方を変えたら何とかなりました。

 

制約も工夫次第で良い方向に転ぶ、と分かりました。

 

それ以降、制約は良い事だと思い始めました。

 

制約がある事で、色々な視点から物事を考え始めるんですね。

 

勉強する時間を取れない事で「じゃあどうやって試験にパスするか」と考える事ができ、もしかしたら効率の良い勉強方法を見つけることができるかもしれません。

(果たして見つかるのかしら…笑)

 

制約という厄介だった奴は、実は憎むものでは無かったんですね。

 

以前、よく仕事を休んでいた頃は、何か想定外の問題が発生し、自分の想定通り物事を運べないと、イライラしたり、落ち込んだりしていました。

 

発生する問題は、自分の自由な行動を妨げる制約ですよね。

 

もしその時に色々と工夫していれば、良い結果が得られたかもしれません。

 

制約に対するネガティブな考え方が、鬱を引き起こしていたのでは、と今は思います。

 

制約に対してポジティブな考え方で、残り少ない資格試験の勉強に励みたいと思います。

 

ではでは

09_仕事してきました

こんばんは。

 

07と08を考えた事で、あれから出社でき、仕事してきました。

 

あれだけやる気力が起こらなかったのに、よくできたものです。

 

おかげで明日やる事を整理できました。

 

今日は安眠できそうです。

 

ではでは

08_やりたい仕事とやりたくない仕事

タイトルが1つ前と似ていますが、1つ前の投稿と併せて考えた事をつらつらと書きますね。

 

やりたい仕事とやりたくない仕事ってありますよね。

 

「やりたくない仕事なんてない」と言う人もいるでしょう。

 

「やりたい仕事しかしてない」と言う人もいると思います。

 

「そもそも、仕事にやりたい事とやりたくない事の区別なんてない」と言う人もいるでしょう。

 

ただ、1つ前の投稿で、私は「仕事をやりたい事とやりたくない事の2つに分けていて、やりたくない事をする事は社会的な務めである」という考えを持ちました。

 

以上の考えのもと、下記、書いていきますね。

 

まず私は、仕事とは、広義には、「人間の行為全て」を指すと考えました。

 

つまり人間は、仕事をしなければ生きていけないわけです。

 

水を飲むことも仕事、金を稼ぐ事も仕事、寝る事も仕事です。

 

仕事とは人生の時間つぶしです。

 

仕事(人間の行為)には当然、やりたい事とやりたくない事があります。

 

私は食べる事が好きなのですが、そもそも不味いものが分かってこそ、美味しいものが分かると考えています。

 

同様に、やりたい事は、やりたくない事があってこそはじめて成り立つものだと思います。

 

やりたくない事があって、はじめてやりたい事がある。逆も然り。

 

やりたくない事が分かれば、なるべくしたくないと思う人もいるかもしれません。

 

特に会社での仕事(狭義の意味)で、そう思う人はいるのではないでしょうか(私も先程までそうでした)。

 

でもこう考える事はできないでしょうか。

 

やりたくない仕事をやる事は、普段の自分では気がつかない事を教えてくれると。

 

私は毎週、映画館で映画を見る事にしています。

 

それは、見たい映画がある、なし関係ありません。

 

見たくない映画しかなくても映画を見ます。

 

なぜならば、見たい映画だけ見ていると、視野が狭くなるのではないかと考えているからです。

 

何かを発想するためにはできる限り多くの情報に触れる事が大事で、そのためには好き嫌いをなくす事が必要と考えています。

 

その考えを仕事にも応用できるのではないかと、考えたんです。

 

したくない仕事をする事で、普段の自分では気がつかない事に気がつくのではないか、自分が思ってもいなかった影響を受けるのではないか、という事です。

 

映画もそうですが、これは苦行である事は間違いありません。映画でもキツイので、仕事となると尚更です笑。

 

でも、「仕事は、やりたい事とやりたくない事の両方をやる事であり、やりたくない事をやる事でやりたい事が明らかになる。やりたい事をやる事で幸せを感じるし、やりたくない事をやる事で視野が広がる。やりたい事とやりたくない事は表裏一体だ」と思えば、仕事(狭義および広義)に対する気持ちが少し楽になりませんか。

 

今後私は、「会社での仕事はやりたくない事で、社会的な務めであり、視野が広がる可能性があるもの。プライベートの仕事はやりたい事で、幸せを感じるもの。そのどちらも自分が生きる上では必要な事。」と思う事にします。

 

ではでは

07_やりたいと思う事とやりたくないと思う事

本日は10連休のGW最終日。

 

私はじめの2日を仕事、3日目〜9日目を旅行に充てました。

 

旅先では、「この地域に住む人達はどんな仕事でをしていて、どんな生活をしてるのか」なんて考えつつ、「そもそも自分のやってる仕事の意義は何だろう」など、考えてました。

 

旅行すると、思考が勝手に原点回帰するんですね。「ああ、これが仕事から離れる事の意味か」と改めて思いました。旅っていいなあ。

 

さて、旅行でリフレッシュできた一方、実はGW中に終わらせたいと思っていた仕事が終わっていません。

 

「休み前にここまでの仕事はなんとか終えたい」、「休み中にはこの仕事を終わらせるぞ」と考えていて、今まだ終わってない人はいらっしゃるのではないでしょうか笑

 

私の仕事は、必ず終わらせておく必要があるものではありません。

 

ただ、以前躁鬱で出社できなかった理由として、翌日終わらせる仕事の内容をイメージできていなかったという事があったので、なるべく休み明けにやるべき仕事を無くそうと思ってる訳です。

 

しかし、仕事をやる気力が全く起こらないんですね笑

 

仕事を終わらせたいと思っているのに、何でできないんだろうと思いました。

 

そこで、ブログを書いて、その理由を明確にしてやろうと思いました。

 

そもそも、物事をやりたいと思う事と、やりたくないと思う事とは何でしょうかね。

 

物事をやりたいと思う事は、その物事をやった後の状態にしたいという事。

 

物事をやりたくないと思う事は、やった後の状態にしたくないという事。

 

でも今は、仕事をやった後の状態にしたいと思ってるのに、それができない訳です。面倒だと思っているわけです。

 

やった後の状態にしたいけど、その状態にするための行動に踏み出せない事には、何か理由があるはずです。

 

ウンウン唸って考えた結果、せっかくの休みを仕事に充てることが嫌だと思っていることに気がつきました。

 

 

「そもそも、休みに仕事をせざるを得ない状態になっている事自体問題じゃないの?」

 

 

そんな声が聞こえてきそうですが、それは少し置いておきましょう。笑

 

つまり、「今やろうと思っている仕事は、休日にするものではない、そんなのに時間を使うのは勿体ない」と思ってるわけです。

 

口では、「仕事好き。休日に仕事する事を嫌とは思わない。」なんて、意地張って友人に言ったりします。

 

でも実際は、仕事をしようとしても、今のようにやる気力が起こらないわけです。

 

勿論、やりたい仕事の時は、休日関係なしに仕事します。

 

でも、往々にして、今日のような状態になります。

 

なので、今の仕事は、心の底からやりたいと思える事ではないのでしょう。

 

 

 

GWに所ジョージさんが出演しているテレビを見ました。

 

所ジョージさんの考え方良いなあと思い、色々と名言を探していた所、こんな言葉がありました。

 

【朝起きて、歯を磨いたり、着替えたりするのって、面倒でしょ?
でも、病気でそれができない人だっている。
勉強したいって思っても、世界には、貧しくてできない人もいる。
だから、「めんどくさい」ことがあるのは、幸せなんだよ】

https://matome.naver.jp/m/odai/2144979673490867801

 

確かに、仕事をしたくてもできない人達がいる中、仕事を面倒臭いと思える自分は幸せです。

 

そう思うと、面倒な仕事にも手を付けれるなと思いました。

 

むしろ、「面倒な事をする事が、仕事できる自分の務め」なのかもしれません。

 

躁鬱で倒れる事も、仕事できる自分だからこそ得た経験。

 

この考えを持てば、気楽に仕事できる気がしませんか。

 

ではでは