元コンサルで躁鬱なニートの日常

コンサルタントを退職したので、ブログ名を「躁鬱のコンサルタントの日常」から「元コンサルで躁鬱なニートの日常」に変更しました。躁鬱で悩みながら生きていく様を自分の記録用に書いています。

10_制約に対する考え方が鬱に影響するのでは?

こんにちは。

順調に出社しています、コンサルのぶーです。

 

さて、資格の試験が迫っているのですが、あまり勉強の時間を取れていないこの頃。

 

そもそも今日も仕事、明日も仕事。

まとまった休みを取れません。

 

「全然勉強する時間無い。まじ最悪。」と以前のぶーであればイライラしていたでしょう。

 

でも今は違います。

 

「勉強の時間取れてないけど、まあいっか。」と開き直っております。

 

もう過ぎ去ってしまった時間は取り返せないので、今後頑張るしかありません。

 

この場合、時間を自由に使うことを妨げている制約となっていることが仕事というわけです。

 

 

せい やく [0] 【制約】
( 名 ) スル① 制限や条件をつけて、自由に活動させないこと。 「時間に-される」 「 -を受ける」
② 物事の成立に必要な条件や規定。

https://www.weblio.jp/content/制約

 

 

最近、仕事上で制約について考えることがありました。

 

何か物を作ろうとした際、制約だらけだったんですね。

 

がんじがらめ…

 

と思ったのですが、考え方を変えたら何とかなりました。

 

制約も工夫次第で良い方向に転ぶ、と分かりました。

 

それ以降、制約は良い事だと思い始めました。

 

制約がある事で、色々な視点から物事を考え始めるんですね。

 

勉強する時間を取れない事で「じゃあどうやって試験にパスするか」と考える事ができ、もしかしたら効率の良い勉強方法を見つけることができるかもしれません。

(果たして見つかるのかしら…笑)

 

制約という厄介だった奴は、実は憎むものでは無かったんですね。

 

以前、よく仕事を休んでいた頃は、何か想定外の問題が発生し、自分の想定通り物事を運べないと、イライラしたり、落ち込んだりしていました。

 

発生する問題は、自分の自由な行動を妨げる制約ですよね。

 

もしその時に色々と工夫していれば、良い結果が得られたかもしれません。

 

制約に対するネガティブな考え方が、鬱を引き起こしていたのでは、と今は思います。

 

制約に対してポジティブな考え方で、残り少ない資格試験の勉強に励みたいと思います。

 

ではでは