05_鬱後久々の出社時の心構え
鬱発症後の久しぶりの出社時の心構えとして、以下3つを考えました。
1.周りからの視線(評価)は、気にしても自分ではどうすることもできない
2.鬱を発症した自分は過去の自分であり、単なる情報でしかない
3.休んだ罰(クビ、減給、部署異動など)を受けた後の事は後で考える
日曜出社して、少し心的負担を軽くした私ですが、月曜からズルズル出社できない日が続くと、さすがに心的負担が重くなってきました。
ですので、明日の出社に備え、改めて心構えを確認しようと思いました。
まずは1について、周りからの視線(評価)が気になりますよね。いくら「周りは関係ない」と思っても、少しは気になってしまう。
ですが、周りからの視線(評価)は、自分から変えれるものではありません。
「お願いだから、良い評価をして!」と上司に言って、「わかった!」なんてならないわけです。
ならば、気にするのは取越し苦労です。
気にしない、気にしない。
次に、2について、鬱を発症した自分を不変のものと捉え、出社時も鬱が発症しているかのように思ってしまいがちです。
しかし、人は生まれて死ぬまで老い、変化を続けるものです。
昨日の自分は過去の自分であり、単なる情報に過ぎません。1秒前の自分も過去の自分でしかないわけです。
鬱な自分は過去の自分。今の自分は鬱ではないと考えれば、「鬱じゃないですけど何か」的な姿勢で出社できるのではないでしょうか。
実はこれ、養老孟司さんの「養老孟司の〈逆さメガネ〉」を参考にした考えです。
最後に3ですが、休んだ罰が与えられることが考えられますが、周りからの評価と同じで、どんな罰が与えられるか分かりません。考えても取越し苦労ですね。
ではでは